後悔があるとするならば、冷静さと語学力の無さを悔やむ。
一体何が起こったのかすら理解できなかったという圧倒的な抽象思考レベルの低下。
不安そのものをぶつけたわけではなく、不安からくる素朴な疑問をぶつけてみたということ。
感情や行動を疑ったわけでもなく、そんな状況下で起こる不自然な〚間〛に対する素朴な疑問。
偶然に偶然が重なったという答えであれば、統計的に記憶するだけのことだったはずなのだけど、
自体は予想の範疇を大きく超えてしまった。
テンパるあまり、自分の思考すら理解できなくなり、
なぜ疑問に思ったのか?というお題を、なぜ不安に思ったのか?という命題にすり替わって考察してしまい、
よりややこしい状況に追い込むことになってしまった。
整合性の取れないありとあらゆるものに疑問を持ってしまう自分は、
きっと変えたくない部分であって、それがブログの基礎に繋がっている。
疑問に対する答えは聞くことでしか得られないわけで、質問の仕方に問題はあったにせよ、いずれは問う話。
冷静でいられなかったこと、真意を正確に伝えきれなかったこと、要らぬ傷を増やしてしまったこと。
書きながら数えても後悔は増えていくばかりだな。。
あの時もっと自分がこうだったら!という後悔は出来るだけしたくない。
と思って生きてたはずなのだけど、まだまだだったな。
何のために改造してきたのだか。自分を磨いてきたのだか。今一度考え直すことが必要。