孤独を知っているということは、他者に対し優しくなれるということでもあるが、時として知っているが故に孤独になってしまうことを恐れるという弱さにもなる。
孤独を知らないということは他者に気を使わない、歯に衣着せぬなどという強みになることもあるが、大部分の人は何かしらの孤独を持っていると考えると、孤独感を他者と共感出来ない、気を使われぬことで傷つけられるという恐怖心を相手に与えることもある。
孤独感を理解した上で敢えて真理追求の道を進むことは一見して強いようにも見えるが、
んー。
人独りが瞑想により生み出せるドーパミン量から感じる多幸感よりも、他者と同調した際に味う相乗効果の加わった多幸感の方が圧倒的に多いということを考えると、
孤独を理解し、孤独感を共感しあえることで同調が深まることは、より幸せ(より多いドーパミン分泌)を味わえるという意味において、孤独感を知らずに生きるよりもプラスではないだろうか。
ただ孤独を恐れない(知らないが故の場合においても)そのスタイル、スタンスはある種とても魅力的な人と映ることが多い。
孤独を感じたことがなく孤独感を知らないが故に恐れていないことと、
孤独を味わった上で孤独を恐れないということは違う。
孤独感を感じたことのない人生もあるとは思うし、感じないで一生を終えることはとても幸せなこととは思うけど、孤独を味わっている時こそ人は大きく成長するのだと思う。
そういう意味において孤独な時間を過ごすということが自分にとっては好きな時間なのだな。
と思ったりしました。
今まで【孤独】ということについてあまり深く考えて来なかったけど、
孤独と向き合い、孤独を恐れる気持ちを払拭しないと自立も成長もできないということと考えるようになりました。
とはいえ、孤独から解放される、されたことがあるという経験も同時に重要なこと。
世界中にたった一人でも理解してくれる人がいれば、それだけで解放されるものと思います。
親であれ、親友であれ、恋人であれ、双子の片割れであれ、見ず知らずの誰であれ、犬であれ猫であれ。
自分がより一層成長していくためには、孤独を楽しんだり、孤独をプラスに変える思考や操作が必要なのだなということが、今週出した結論でした。
孤独は知らないよりは知っていた方がより良い深い人生を歩むことが出来るはず。
書けばキリがないくらい、孤独という概念は深い。またいつか書くことになりそうな予感。
↧
孤独は強さにも弱さにもなりうる。
↧