別に誰かのせいにしたかったわけじゃないし、不安を不安と伝えたかっただけ。
経験上、上手く言ってる時や幸せを感じている時には必ず落とし穴があったり、事件が起こる人生だった。
上手く行き過ぎてる、幸せすぎると感じる時こそ、現実への猜疑心がより高まってしまう。
そんな性格が不安をより多く作り出してしまっているのだなと。
落とし穴や事件で受ける衝撃を事前に防衛するという癖がついてしまっている。
同じことは繰り返すまい。と思いつつも、それは他者を心から信じられないということへと繋がる。
でも信じたいという思考の葛藤の日々。
信じているから不安を伝えることが出来るとも言えるし、信じきれていないから不安に思うということもある。
信じてもらえない悲しみも経験したこともあるし、信じられなくなるような経験もしたこともある。
経験からくる防衛本能でもあるけど、経験を基に感情の推測、可能性を考えるという配慮に欠けていた。
何より一度信じると決めたにもかかわらず、不安に耐えきれなかった。
伝え方、言い方。言葉の扱いは本当に難しい。感情的になり冷静な言葉をチョイスできなかった。
後悔はないけど、反省の繰り返し。もう少し気を使える人間になりたい。
全ては自己責任。昇華するにはもう少しかかりそう。